自分のキャリアと配偶者の海外赴任どちらを選ぶか迷っている女性に朗報!
MBAホルダー 鈴木かほるさん
「迷わず帯同を選んで!」
という力強いメッセージ
シームレスウーマン特集 Vol.2
国境を越え、文化や言語の壁を乗り越えて、新しい環境に順応しながら、しなやかに自分自身を表現しつづける女性をとりあげます。
―学生時代にフランス語を学んだ鈴木さんは、「ポルトガル語はフランス語よりも簡単だったので習得は楽だった」と。物静かで優雅な雰囲気からは想像つかない程、「現地の人と同じ格好をしていれば襲われることはない」をモットーに、現地では、少々物騒な地下鉄やバスを乗りこなす行動派。日本での生活に比べればやれることが少なく、制約の多い生活も「勉強に専念できるいい環境」と逆転の発想で、3年半の間に、ポルトガル語資格と、MBA(経営学修士)の修了証書を手にしました。帰国後は、前職の大手銀行に再就職し、コンプライアンスの分野で活躍中です。
Q. ブラジルに行かれる直前まで大手銀行で審査のお仕事をされていたと。ブラジルの新生活に対してなにか具体的なプランはありましたか?
鈴木さん:日本では、とりあえず…という感じで語学学校に行っただけです。あまり身も入らず…思い出すと事前にはほとんど勉強してないですね(苦笑)。渡航前に、ブラジルで、漠然と仕事やボランティアができたらいいなと思っていました。ただその前にやはり、現地の言葉を身に着けるのが先と思っていたので、実際にブラジル・サンパウロに到着して、すぐにサンパウロから約500キロ離れたフロリアノポリスで1ヶ月の語学研修(ホームスティ)に行くことを決めました。
Q. 初めての異国でいきなり配偶者と離れて1ヶ月のホームスティ、どうでしたか?
鈴木さん:夫は、行きも帰りもついてきてくれましたし、途中、1回様子をみに来てくれました。感じとしては、少し長めの出張で、お互い離ればなれになったという程度ですね。現地ブラジルの家庭に飛び込んだことで、生きた語学がすっと入ってきました。語学学習の大きな動機付けになり、ブラジルの人や音楽が好きになりました。その後の勉強にもとてもポジティブに影響した素晴らしい経験になったことはいうまでもありません。
Q.ホームステイ後、サンパウロに戻ってからますます語学の勉強に精をだせたと。
鈴木さん:はい、帰ってきてからは、毎日語学学校に通い、それから半年もすると、2つの語学学校をかけもちするように。最終的には、1年後に、Celepe Bras*の中級レベルを突破しました。
*Celepe Brasとは、ブラジル政府公認の唯一の「外国人のためのポルトガル語検定試験」。いわばブラジル版TOEFLで、ブラジルの企業でポルトガル語を生かす仕事に就く場合に評価され、ブラジルの大学院へ入る際の資格として認められます。中級レベルは、難易度が高く、現地で働く日本駐在員でも合格するのにかなりのエネルギーを費やすと言われています。
Q.まず、はじめの1年は集中的に「現地の言葉の習得を」との考えを忠実に実行し、見事に突破。語学のハードルをパスした後、どうされたのですか。
鈴木さん:一区切りついたので、英語とポルトガル語の履歴書を用意して、仕事紹介会社を訪れました。そこで言われたことは「残念ですが、奥さんがお持ちのビザでは、就労できないですね…」と。そして、国際協力関係の機関にもボランティアできないかとかけあったものの、「今はそういったポジションはない」と突き返されてしまいました。
Q. 頑張って勉強したのに、とても残念な結果でしたね。それからどうしましたか?
鈴木さん:引き続き、大学で語学クラスを履修しながら、上級者コース修了まで通い続けるものの、自分の中では、停滞期が続きました。「茶道」や「華道」、「陶芸」のクラスを見つけたので、そこで楽しみながら励む中で、現地の人々ととても温かい交流をもつことができました。約120年前に渡伯した日本人移民と、その子孫が代々引き継ぐブラジルの土壌に融合された文化や、古き良き日本を肌で感じられる貴重な時間になりました。
Q. その後転機が訪れたのはいつですか?
鈴木さん:仕事が出来ないのであれば、帰国後のキャリアに役立つことを、と主人が通っていたMBA**に興味があり、いつ通い始めようかな…なんて思っているうちに、主人から、いつ日本に帰ることになるか分からないし、もう通い始めたらと背中を押され、出願しました。めでたく合格証を手にし、通うことになりました。
**サンパウロ大学大学院経営管理学研究財団(FUNDAÇÃO INSTITUTO DE ADMINISTRAÇÃO)の経営学修士号(International MBA)。
Q. MBAはどうでしたか?
鈴木さん:出願書類、面接を経て合格した時は大変嬉しかったですが、言葉(英語)の壁に悩まされ授業や活発な議論についてゆくことがやっと、自分から考えやアイディアを発信してゆくことが最後の最後まで課題でした。それでも、体系的に経営を学んだ上で、現地大手企業へのコンサルティング・プロジェクトに取組み、最後はブラジルで展開するビジネスプランを修士論文として提出・プレゼンして、自分なりに頑張ったと評価できる、納得のゆく一年を過ごせたと思います。勉強以外でも、南米人、アジア人、欧米人からなるクラスは様々な価値観を受け入れ、協働することを学ぶ良い修行の場でした。
Q. ブラジルは、日本と比べ、治安の悪さやインフラの脆弱さが指摘されます。誰しも、普段日本では、空気のように当たり前なことが、当たり前でない…。実際に生活してみないと実感しにくいことですが、日常生活だと、好きな時に好きな場所に出かけられない等、インフラ面でのマイナスがボディブローのように襲い掛かかり、普通の生活をするのにやっとやっと、という方もちらほら。そういった過酷な環境でも、順応に適応し、自分自身が文化の壁、語学の壁を乗り越えて、異国での生活を楽しむというレベルまでもっていくには、何か秘訣があるのでしょうか。
鈴木さん:たしかに、ブラジルは1人で気軽に出歩けず夜も家に閉じこもる他なく、日本に比べて自由も便利さも娯楽も限られた国です。おまけに言葉も分からない時は相当ストレスを感じました。私は幸運にも、もともと芸道やダンスが好きで、夢中になれるものがありました。それが基で、人の輪が広がり、退屈さや虚無感に負けることなく過ごせました。また駐在妻の先輩方も頼れる方が多く、多々助けて頂きました。何か夢中になれることを見つけ、1人でも本音で話せる友だちや先輩と知り合うことが秘訣だと思います。お子様がいらっしゃる方は、現地学校に通われたりお子様を通してお友達ができたりと、異なる方法で楽しまれるかと思います。ブラジルは無痛分娩が主流で、ベビーシッターや家政婦さんを雇いやすく、人々も子供に対して大変寛容で、出産・子育てにも最適な環境なので、ブラジル国籍のお子様を授かるのも生活が明るくなる方法だと思います。
Q. 鈴木さんは、3年半の駐在員家族としての生活を経て、また日本で、以前の職場に戻り、ご自身のキャリアも大切に積み上げられています。これから駐在員家族として海外生活をされる女性の中には、ご主人の海外赴任についていくべきか、それとも自分自身のキャリアかというジレンマで悩む方も。何かアドバイスあればお願いしたいのですが。
鈴木さん:迷うことなく、帯同されることをおすすめします。人生、仕事だけではありません。30代の私が言うのもおこがましいですが、人生、長いです。数年の仕事で得られるものと、異国の生活・文化を経験し、これまで気が付かなかった自分の長短所を発見し、家族との絆も深まる海外駐在と、どちらがその後の自分の人生を色濃く彩るでしょうか。仕事面で言えば、「1億総活躍」の実現に向けて、女性にとっても今後、キャリアが続けやすい社会になるはずです。私は元の職場に復帰する道を選びましたが、ブランクがあり昇進が遅れても、以前よりも広い視野で、精神的に自由に、前向きに働いています。海外駐在が、新しい仕事へのキャリア転換に繋がっている人もいるし、仕事ではなく趣味を極める等してそれがキャリアになっている人もいます。海外で出産・育児をし復職する人もいます。
最後に… 幸運にも、私にとってブラジルは、第二の心の故郷になりました。少しの好奇心と勇気があれば、人生において、海外駐在体験は未知数に広がりをもたらします。
プロフィール
大学院修士課程(地域文化研究科 国際関係専修コース)修了。大手銀行に総合職として入行。5年勤務後、配偶者のブラジル転勤に帯同するために退職。帰国後に復職。経営学修士。家族は夫、現在第1子を妊娠中。
海外ご経験歴
フランス・パリ10ヶ月(2006-2007)-大学院在学中に単身語学留学
ブラジル・サンパウロ3年8ヶ月(2012~2015)-配偶者に帯同
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